漫画に見る合気道 第二回『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』

漫画
【出典】『スティール・ボール・ラン』第1巻 ©荒木飛呂彦/集英社

漫画やアニメを通じて合気道を知ってもらうシリーズ「○○に見る合気道」、第二回です。

第一回はこちら。

漫画に見る合気道 第一回『EVIL HEART(イビルハート)』
合気道経験者である私が、漫画・アニメ・ゲームなどで「合気道」、あるいは「合気道に通ずるもの」を 感じた作品を紹介することで、合気道についてちょっと知ってもらいたい、オススメ紹介記事。 第一回は、漫画『EVIL HEART(イビルハート)』(作者:武富智)。

 

今回も、「漫画に見る合気道」。

作品は、荒木飛呂彦先生の『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』(全24巻)。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

バトルで扱う「異能力」の根本が、まるで「合気道」?

舞台は、19世紀末のアメリカ

スティール・ボール・ラン』は、「ジョジョ」の愛称で1986年から続いている、

世界的にも有名なシリーズ作品の第7部

19世紀末北アメリカ大陸横断レースで繰り広げられる死闘人間ドラマを描いた作品。

 

 

19世紀末のアメリカ!

 

※合気道の成立は、20世紀中頃の日本

 

この話の一体どこに、日本の武道である「合気道」が見られるというのか。

(現代では、アメリカをはじめ世界各国で合気道は盛んです。)

 

「能力バトル」で登場する「ある力」

ジョジョシリーズは、いわゆる「バトルもの」。

主人公はある「目的」や「信念」を持ち、それに立ちふさがる「敵」と戦うことで、成長していく。

また、戦いで超能力のような不思議な力を扱うものを、

俗に「異能バトルもの」、「能力バトルもの」などと呼ばれる。

『スティール・ボール・ラン』(以後SBR)も、これに該当する。

 

本作の主人公であるジョニィジャイロは、「回転の力」を扱う。

 

回転の力」…?

いったいどんな能力なのか。

 

「回転の力」を武器にする主人公

ジャイロの登場シーンでは、早速その力の片鱗を見せてくれる。

相手と手を合わせているだけで、膝をつかせてしまうのだ。

【出典】『スティール・ボール・ラン』第1巻 ©荒木飛呂彦/集英社

膝をついた男は、わけがわからず動揺する。

別に押さえつけられているわけでもないのに、立てない!?」と。

 

 

これが彼、ジャイロの能力(技)の、ほんの一部なのだ。

回転の力」を、人の体あらゆる物体作用させることができる

 

そして「合気道」では、これを扱ってくる達人クラスの方が、実際にいます

触れているだけで、立てなくなるのです。

これはマジ

 

「合気道」で体験した、漫画のような話

なんでそんな自信を持って言えるのかというと、

上のシーンのような

た…立てねえ!という体験を、実際に私もしているだ(笑)。

 

作者の荒木飛呂彦氏は、

「球体」関係について調べる中で、「合気道」についてもビデオで見たと、

第4巻の作者コメント欄でも語っている。

どんな映像なのか詳しくは知らないが、こんなシーンももしかしたら見たのかもしれない。

 

もちろん、手を合わせただけでここまで激しく「ガグゥゥゥ」とは、なかなかならないが、

立ってるのが辛くて片膝をついてしまう、くらいには、結構なる。

体験しなければ信じられないだろうが、これはマジだ

 

物理的なお話

これは別に魔法でもなんでもなくて、物理的な現象である。

重心」や「力の繋がり」なんかを上手く利用しているのだ。

 

わかりやすく説明するために、下の図を用意した。

ブロックが並んでいる

左にある黄色のブロックを、ゆっくり押してやるゆっくりだ。

すると全て繋がって、右の青いブロックも押し出される

 

「当たり前だろ。」と思われるだろうが、

手を合わせるだけで立てないのも、要は同じことなのだ。

 

ブロックを人間の体に置き換えて見て欲しい。

黄色ブロックが「」で、そこから青ブロックの「」まで体の各部が繋がっている

これなら、手に力が加われば、それが足にも及ぶ、ということがよくわかるだろう。

 

手を合わせた部分から、特定の力を伝えてやれば

その力が体全体に作用して、立っていられなくすることも、可能なのだ。

 

ブロックが並んでいるのを見て、

ニュートンのゆりかご」を思い出した人もいるかもしれない。

(球が横一列にぶら下がっていて、左右の球だけ振り子でカチカチしているやつ)

【出典】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あれは瞬間的な力(衝撃)によって起こる現象だが、

これも利用する達人も、もしかしたらいるかもしれない。

(私自身が気づいてないだけで、もしかしたら過去にやられているかもしれないが…。)

 

当然、人間の体は、上の図のブロックのように単純には繋がっていない

繋がっているとはいえ、骨やら筋肉やら皮膚やら内臓やらで、複雑に構成されている

立っている人間の膝をつかせるなんてことは、

ブロックを真っ直ぐ押すような単純な力ではできない

それには、「重心」や「方向」や「回転」などの微妙なコントロールが必要となるし、

それを身につけるには一朝一夕ではいかない、長い修練が必要となる。

それはSBRのジャイロも同じで、彼の技も修練の賜物なのである。

 

超能力的だが、物理的にも考えられている

先のシーンは、ジャイロの力の片鱗に過ぎず、

物語の中では、むしろ超能力じみた現象のほうがほとんどである。

(漫画だから当然だし、そうじゃないとおもしろくないわけだから、それはいいのだが。)

 

しかしその力の基礎的な部分は、

フィクションではありながら、比較的リアルに考えられていると感じる。

 

ジャイロが、ジョニイに自分の技について教える際、

「強くつかむような力ではなく、体の表面(皮膚)だけに伝わるような力にしろ」

と説明する。

【出典】『スティール・ボール・ラン』第3巻 ©荒木飛呂彦/集英社

皮膚だけに力を伝えれば、気づかれず相手の体を動かせる、ということだ。

 

これのどこが現実的なんだ

と、一見思うだろうが、

言ってみれば、皮膚」とは、それ1枚で体を包んでいるわけだから、

手の先から足の先まで、全部繋がっていることになるのだ。

 

先のブロックの図と同じで、

手の皮膚に伝えた力は、足の皮膚に伝えることもできるし、

皮膚に包まれた足そのものに力を伝えることが可能と言える。

 

買い物袋に物を入れて持ち運ぶのは日常的なことだと思うが、

それの袋が皮膚で、中身が筋肉や骨、みたいなものだ。

袋を振り回せば、当然中身もそれについていくし、力もかかる。

 

私は合気道をやっていて、実際に皮膚に作用させることを重視した技を体験したこともある。

無意識に体全体が引っ張られる感覚になる。

そうした体験があるからこそ、このジャイロの説明も、実にリアルに感じるのだ。

そうした面から見ても、この漫画は非常におもしろい。

 

繰り返し言うが、

回転の力で、根を張った木を避けたり、手を爆破する衝撃を足に移動させたり、など、

現実的にはありえない超能力的な現象のほうが、物語の中では圧倒的に多いので、

「こんなことも合気道はできるのか。」とかは決して思わないように!(笑)

 

以上が、SBRで描かれる「回転の力」から見られる、現実の「合気道」の物理的な話である。

 

 

精神面の描写にも感じられる「合気道」

リンゴォ・ロードアゲインの精神

さらに、精神的な描写においても、合気道にも共通して感じられる部分がある。

特に顕著なのが、「リンゴォ・ロードアゲイン」という敵との戦いだ。

この「リンゴォ」という男、

公正な殺し合いは神聖なものであり、

自分を高めてくれる”修行“である

と考えており、ジョニイたちに決闘を申し込んでくる。

【出典】『スティール・ボール・ラン』第8巻 ©荒木飛呂彦/集英社

公正な殺し合いなど、現代の、ましてや日本では、到底許される行為ではない

しかし、過去世界中では、こうした考え方は多く存在した

SBRの舞台である19世紀のアメリカ(西部開拓時代)でも、実際に決闘は行われていた。

それは「殺人」ではなく、あくまで「果たし合い」であり、違法性は無いものとされていた。

(SBR内でもその描写はたびたび登場する。)

 

決闘の文化は、古くはヨーロッパから続いている。

そして日本も例外ではない

武士」は果たし状を送ったり、戦場で一騎打ちを行ったり、似たようなことをやっていた。

時代劇などでも見たことがある人もいるだろう。

 

なぜわざわざ殺し合うのか?

その理由は、まさに先のリンゴォが語るように、

自分を高めるためなのである。

 

武士の精神、合気道の精神

命を賭けてでも己を磨く人間性を高める

というのが、武士の考え方の一つであった。

 

さてここで、「合気道とはなんだったか

日本の「武道」の一つであり、「武道」とは「武士道」に由来する

稽古を通して己を磨く、という武士の精神が、「武道」にも根付いている

 

ゆえにこのリンゴォという男、

やっていることは野蛮と言われるかもしれないが、

精神的な部分では、合気道をやっている私には非常に共感できるのだ。

(決して、「殺し合い」がしたいとか、そういうことではないよ!!)

 

武道」ということなら、合気道に限らず柔道でも剣道でも同じことなのだが、

己を磨く」という考え方が、合気道では特に表れると思っている。

なぜなら、合気道は競技化しない(試合を行わない)ことを基本としているため、

「試合に勝つ」ということが、日々の稽古の目的にならないからだ。

必然的に、己と向き合う」ことが稽古の意義となる

(古武道における柔術や剣術では、合気道と同じく基本的に試合を行いません。)

 

礼に始まり礼に終わる

なんだか難しい話になってきてしまった。簡単な礼を出して、まとめよう。

礼に始まり礼に終わる」というのは、武道をやったことがない人でも、聞いたことがあるだろう。

SBRにおけるリンゴォも、決闘前と後で礼をする

【出典】『スティール・ボール・ラン』第7巻 ©荒木飛呂彦/集英社

実に武士道精神を感じる男である。

こういうところに、「合気道の精神」に近いものを感じたよ、という話だ。

 

ようこそ……… 『男の世界』へ…………

【出典】『スティール・ボール・ラン』第8巻 ©荒木飛呂彦/集英社

 

上は、リンゴォの名言の一つだが、

この言葉に至るまでのこの男の言動は、非常にカッコいいので必見である。

 

敬意を払え

長くなってきたが、もう一つだけ「精神的な描写」の例を挙げたい。

 

それは、ジャイロがジョニイに、「回転の力」の極意(LESSON4)を教えるシーン。

その極意とは敬意を払えというもの。

具体的には、今から言うことを

「できない」と心の底から「4度」言うこと、

そして「4度」言ったら簡単なやり方を教えてやる、ということだ。

【出典】『スティール・ボール・ラン』第11巻 ©荒木飛呂彦/集英社

どういうこと???

当のジョニイにも、なんのことやらさっぱり意味がわからない

簡単なやり方があるなら、さっさとそれを教えてくれと焦る。

(しかもこのときまさに、敵に命を狙われていて殺されそうな状況なのに。)

 

どんなに危険な状況だろうと、ジャイロは頑なに拒む。

それがジャイロの一族が受け継いできた「」、「伝統であるから、と。

 

そんなわけのわからない「」を軽視し続けていたジョニィだが、

自力でやろうとして、何度も「できるわけがない」と絶望する

【出典】『スティール・ボール・ラン』第11巻 ©荒木飛呂彦/集英社

 

追い詰めに追い詰められて、ついに4度言おうとしたその瞬間

回転の力の「極意」に自力で気づくことができる

掟の「真意」も理解することができる。

【出典】『スティール・ボール・ラン』第11巻 ©荒木飛呂彦/集英社

一見わけのわからない「」や「伝統」にも、

それができた「理由」が必ずある

敬意を払う」ことで、そこに気がつくことができ、

極意」にも近づくことができる

 

これはまさに、

合気道の稽古で常日頃私が感じていることと同じなのである。

 

技の「極意」とか「ポイント」というものは、聞いたらすぐわかるようなものではないのだ。

むしろ、やり方を聞いても、さっぱりわけがわからない

まさに、「そんなことできるわけがない!」というもの。

それでもとにかく、この動作を続けていればいいこの意識を保ち続けてればいい

と教わりながら、「基本的・伝統的な形を繰り返していく」わけです。

形稽古(かたげいこ)って、そういうもんです。

 

そして、ある時突然理解できる

かつて教わって、「できるわけがない!」と思っていたことの真意が。

信じて地道にやり続けていたからこそ、気づけるのだ。

そこに敬意」を払うことなく、ないがしろにしていたのでは、到底たどり着けなかったであろう。

 

SBRの話に改めて例えると、

できるわけがない」と心の底から4度言うために、ジョニィは何度も自力でチャレンジしていた

これがもし、特に試行錯誤もせず簡単に諦めていたとしたら…?

「回転の力」の極意には気がつくことなく、敵にやられてしまっていたのだ。

 

一見意味のない「」。

絶望を繰り返しながらも、それに「敬意を払う」ことで、やがて「真意」を掴む。

合気道の稽古は、これの繰り返しである

合気道に限らず、己を鍛えることなら何でも、これは通ずることだろう。

 

合気道始めてから読み直したら、さらにおもしろくなってた

『スティール・ボール・ラン』に見る合気道、いかがだったろうか。

合気道に限らず、武道やその他の事についても言えることもあるし、

多少こじつけっぽいところもあったかもしれないが、

私自身がそう感じた、という参考程度に受け止めておいて欲しい

 

この漫画を私が初めて読んだときは、まだ合気道を始めていなかったのだが、

合気道を始めて色々経験してから改めて読んだら、

上で例に挙げたようないくつかのシーンで、

めっちゃ合気道じゃん(笑)

と、実際感じてしまったのだ。

「体験」は作品の「価値」を向上させるものだと、つくづく思う。

 

そういうわけで、これを通じて、合気道に少しでも興味を持って頂ければ、甚だ幸いである。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

コメント