『少女終末旅行』の、つくみず氏による、次の作品。
その第1巻が、2020年2月に発売しました。
終末世界から一転、学園もの。
普通の“のんびりほのぼの日常系”の路線でいくのかな~
…と思いながら読んでみたら、
やっぱ普通じゃなかった。
『少女終末旅行』とはまた一味違った、つくみず氏のSFの世界が広がっている。
第1巻を読んだ感想を、オススメ紹介レビューとして書き連ねていく。
じわじわくる「非日常感」が魅力
漫画的「異質」表現
まずは何気ないゆるい会話が、4コマ形式で始まる。
第一印象は、よくある日常系のようにも見えるが、
突如背景に、存在感バリバリの謎のオブジェが映り込んだりする。
コマの枠組みを無視して、ページの端まで使って絵画的に描かれていることで、
「異質さ」が強調されている。
見てわかる通り、そのシーンだけ文字通り「はみ出ている」のだ。
作者が意図的にそうしているのか、無意識的にそうしているのかはわからないが、
非日常的な場面に遭遇したときは、
「枠」を無視したり、1ページ一杯の大ゴマが使われている。
前作『少女終末旅行』では、見開き一杯の風景画は多数あれど、
コマ割りに則しながらあえて外れる、という表現は、無かったように思う。
(そもそも4コマではなかったから、その必要が無かっただけかもしれないが。)
ベースが日常系だからこその味
読み手は、視覚的あるいは概念的な「異質さ」を受けて、
「非日常体験」による高揚を、じわりじわりと感じる。
ファンタジー全開の冒険漫画であれば、舞台そのものが現実とは「異質」なので、
「非日常感」は開始同時にガツンと受けるはずである。 これはこれで良い。
だがこの作品は、ベースが日常系で、その日常を脅かさない程度に「非日常」がある。
だからこそ、その体験はまるで白昼夢のように特異に感じる。
冒険ものの「ワクワクドキドキ」とはまた違った、なんとも言えない感覚を得られる。
このじわじわ~っと来る「非日常感」が、
この作品の大きな魅力だ。
有名な話だが、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄氏の掲げる「SF」は、
一般的な「サイエンス・フィクション」ではなく、「すこし(S)ふしぎ(F)」であった。
これは、『ありふれた日常の中に紛れ込む非日常的な事象』をテーマとしていたのだが、
本作品の「SF」も、むしろこれに近いものを感じる。
(ちなみに私は藤子・F・不二雄作品の大ファンである。)
前作が好きなら、読んでみて欲しい
非日常的風景が、やはり格別におもしろい
まあ、まだ1巻を読んだだけの感想なので、今後どうなっていくのかわからないわけだが…。
少なくとも、前作『少女終末旅行』が好きなら、読む価値は十分にあると思う。
1巻の最終話では、4コマの形式がほぼ取っ払われて、
ここまでで最大の非日常体験に陥る。
つくみず氏の本領発揮ということなのか、
この最終話が特にぶっ飛んでいて、おもしろい。
1巻の終わり方から、今後何かしらの非日常に巻き込まれていく予感もするが…、
多分、日常をベースに進んでいくんではないかと思う。
なんにせよ、続きが猛烈に気になるところで1巻は終わっている。
チトとユーリも登場…?
なお、前作主人公の「チト」と「ユーリ」が、友情出演的に登場している。
おなじみのノリで、ブラックジョークをかましたりしてくれる。
楽しそうで何より(笑)。
続きを読んだら、また感想を書こうと思います。
コメント
チトとユーリについては単なるカメオ出演ではなく本当に前作のその後の二人かもと少し思ってます。前作最終巻あとがきのページの場所が今作13ページ(電子版)の麦畑のような中にモノリスが立っている場所じゃないかと。前作ラストのコマとあとがき絵の考察で二人がどこかに転送されたのではないかというものを読んだことがあります。今後も本筋とは別にちょくちょく出てきてくれたら嬉しいですね。
ああ~なるほど。
『終末』にも『しめじ』にも、謎テクノロジーが共通して存在してますからね。
今後、さらに何か考察できるシーンが来て欲しいですね。