ジャンプで連載中の『鬼滅の刃』。
原作漫画も、アニメも、最近大いに盛り上がっております。
一体なにが、そんなにおもしろいのか。
遅ればせながら、漫画とアニメ、両方見てみました。
(16巻まで読んでいます。)
重大なネタバレ無しで、その魅力を、私個人の見解で語っていきます。
「冒頭のネタバレすら嫌だ!」という方は、ジャンプ+などで試し読みしてから、
先に進んで下さい。
『鬼滅の刃』の魅力はここ!
細かいあらすじは置いといて、『鬼滅の刃』の魅力に焦点を絞って語っていこう。
まず何よりも、主人公の『竈門炭治郎(かまどたんじろう)』を中心に、
この作品の魅力の半分以上が含まれているのではないかと、私は思う。
↑右の少年が、主人公の炭治郎
主人公、炭治郎に魅力が詰まっている!
主人公なら、作中で魅力的に描かれるのは至極当然のことかもしれない。
しかし、『鬼滅の刃』では、それが特に強く表れていると感じる。
炭治郎は、家族との「絆」を大切にしており、
困っている人をほうっておけない「優しい心」の持ち主である。
それ故に、鬼にされてしまった妹を元に戻そうと、
強くなることを決意し、「成長」していく。
誠実で優しく、頑張り屋。
多くの人に好感を持たれるキャラクターをしている。
シンプルだが、炭治郎の魅力は、この辺りが根っことなる。
それぞれもう少し詳しく語っていこう。
兄と妹の強い「絆」を、見守りたい
冒頭で描かれるが、炭治郎の家族は鬼に襲われ、自分と妹だけが生き残る。
たった一人の家族となった妹・禰豆子(ねずこ)との絆は、特に強いものとなる。
禰豆子が鬼となってしまっても、炭治郎にとって、それは変わらない。
我を失い自分を襲う禰豆子を、それでも信じ続けたほどだった。
これはもう、1話からずっとぶれない。
炭治郎(兄)は、禰豆子(妹)を守る。
『鬼滅の刃』という物語における、基本中の基本だ。
禰豆子を必ず助ける、と誓って鬼たちと闘い始めては、
毎度ボロボロになる炭治郎。
そんな炭治郎を、ときに禰豆子が助けに出てくる。(鬼になったから基本、強い)
禰豆子に危険が及べば、今度は炭治郎がボロボロだろうと助けようとする。
この兄妹は、どれだけ傷つこうとも互いに助け合い、前に進んでいく。
これがとても健気で、見守りたくなるのだ。
他にも、作中の登場人物たちには、
兄弟がやたら多い気がする。
兄弟を既に亡くしている者もいれば、不仲だったり、トラウマの象徴だったり、
時には敵だったり。
作者の吾峠 呼世晴氏は、もしかしたら兄弟がいる家庭で育ったのだろうか。
兄弟・姉妹の関係を、とても丁寧に描いている。
「優しさ」に心打たれる
炭治郎は、どんな相手に対しても、優しい心を忘れない。
その優しさがあったからこそ、鬼となった妹とも、絆を保ち続けられたのかもしれない。
もちろん、理不尽に振る舞う者などには、激しく怒ることだってあるが、
それも彼の優しさ故と言える。
本能で人を殺し続ける鬼を決して許しはしないが、
その鬼に対してすら、慈愛に満ちている。
鬼を斬るまでは強く激しく、
斬った後は、その鬼のために悲しむことができる。
鬼を倒す剣士になったが、最期には鬼の心を救うことも少なくない。
炭治郎は、それができる人間だ。
剣士たちの多くは鬼に家族を殺され、
全ての鬼を憎む者が、ほとんど大半である。
炭治郎も、家族を鬼に殺されている。
にも関わらず、
彼は決して復讐心で刃を振るわない。
家族を殺した元凶と対峙したときも炭治郎は怒りこそするが、
このときも、その者に対する恨みや憎しみよりも、
「人を殺し続けること」という行為そのものを許さない、という風だった。
この元凶を斬ることより、
その場では犠牲者が出ることを阻止することを優先して行動していた。
優しさを言動で示せるほどの強い心も持っている。
まさに、「罪を憎んで人を憎まず」を体現した、聖人のような少年だ。
そんな彼を見ていると、心が洗われていく。
「かたきを討つ」などとは言わず、
「悲しみの連鎖を断ち切る」と、発言していたこともある。
『鬼滅の刃』は、復讐に生きる少年を描いた物語ではない。
妹を救うために鬼を斬る。 斬った鬼も救っていく。
表層は重く暗いイメージを纏っているかもしれないが、
読んでいけば、中身は優しさに溢れていることがわかる。
その中心には、だいたい炭治郎がいるのだ。
とにかく頑張る! 止めない「成長」
前述のように、炭治郎は心は確かに強い。
しかし、鬼を倒す力は伴っていなかった。
だって彼は、剣士の家の生まれでもなんでもない。
ただの炭焼きの家の長男なのだから。
だが、鬼となった妹を元に戻す方法を探すため、
剣士となり、鬼たちと戦う力を身につける決意をする。
ここでも、「復習を果たすため」ではなく、「妹を助けるため」
に行動するのが、炭治郎だ。
そして彼は、とにかく頑張る。
辛いのにとにかく頑張る。
頼れる兄でいようと、とにかく頑張る。
「俺は長男だから!」と言いながら頑張る。
キツくても「長男だから我慢できた」とか言っちゃう。
これまたなんとも健気である。
少々自虐的なところもあるかかもしれないが…。
ひたすらに頑張る人を見ると、
やはり応援したくなってしまうのが人情というやつだろうか。
死線ギリギリまで頑張る炭治郎から、目が離せない。
※炭治郎は、修行するときも死にそうなくらい頑張るので、急激に成長するのだが、
炭治郎のように強くなりたい世の青少年たちは、
決して彼の真似はせず、日々地道に鍛錬を積んで下さい。
他にも色々
炭治郎を中心に紹介してきたが、もちろん他のキャラも魅力的である。
炭治郎と禰豆子に同行する、我妻善逸(あがつま ぜんいつ)や、嘴平伊之助(はしびら いのすけ)。
それから、「柱」と呼ばれる、護廷十三隊隊長 特に強い剣士たち、等々。
色々事情を持っているらしい人々がたくさんいるわけだが、
少なくとも私の読んだ16巻までは、
彼らについての描写よりも、炭治郎周りの描写の方が、圧倒的に多いのだ。
というより、炭治郎から見た彼らを描いたり、
炭治郎によって影響を受けた者を描いているのかもしれない。
(もちろん全てではないが)
とにかく、これだけ人材が揃っているということは、
今後もまだまだ続きそうなので、楽しみである。
漫画原作は、AmazonKindle他、多くの電子書籍ストアで読める。
マンガebookjapan
Yahoo Japan Corp.無料posted withアプリーチ
試し読みできるところも多いので、
興味があったらまずは読んでみることをオススメする。
アニメが凄い
『鬼滅の刃』は、アニメがまた凄いのだ。
原作の良さを、100%どころか、200%くらい引き出してきている気さえする。
剣技の表現が凄い
特に良いのが、作中最大の見せ場となる戦闘シーンの演出。
剣士たちは、各々、属性を宿した技(呼吸・型)を繰り出す。
例えば炭治郎は、水の呼吸を扱うのだが、
刀から水が流れ、振れば水滴が弾かれる様が、
躍動感を併せ持ちながら、美しく描かれる。
初めてこれが描かれたシーンでは特に、原作以上にインパクトが大きく、
初見の多くの人は、驚き見とれたことだろう。
作画と3DCGのハイブリッドによるものらしいが、
原作の日本絵画のような水の表現も、しっかりと活かされている。
日本アニメ技術の最先端といった感じだ。 一見の価値あり。
細かい表現も、劇伴も声も、とにかく凄い
3DCGは、他のシーンでも上手く使われており、
作画メインの本作の中で違和感を極力与えること無く、
スピード感ある戦闘を滑らかに表現できている。
他、刀身の輝きが、事細かに丁寧に描かれているのが、
個人的にとても好きだ。
これらに加えて、
戦闘に同期し盛り上げる劇伴、声優たちの力の入った声、
どれを取っても見事。
ここまでクオリティが高い戦闘シーンは、見入る見入る。
原作を上手く補正していて凄い
また、原作では説明不足だったり、
逆にナレーション的解説を入れて、説明的になりすぎてしまうシーンが、
多々見られるのだが…、
こういった点も、アニメでは上手く補正や補完がされている。
(例えば、解説の言葉を、作中の登場人物が自然に語ることで、伏線としたり。)
『鬼滅の刃』を全く知らない人は、アニメから入ってみてもいいだろう。
逆に、原作コミックスしか読んだことがない人は、
是非アニメも見てみて欲しい。
そのくらい、クオリティが高いし、良い改変がされていると思う。
アニメは、「Amazonプライム」他、「アニメ放題」等でも配信されている。
少し考察があるので、気になる人は次のページへ
というわけで、ネタバレを避けての『鬼滅の刃』の紹介でした。
読みながら感じていたのは、
中高生に人気が出そうな要素がてんこ盛りだな…!
ということだ(笑)。
なんだかんだ「刀」はみんな大好きだし、
「○○の型」とか、「○○の呼吸」とか、
なんかいいよね!
こういうのに憧れる人たちは、古武道寄りの剣術習うといいよ。
さて、ほんの少しだが、読んでいて気になる点がいくつかあったので、
次のページでは軽く考察をしている。
ネタバレも含むので、コミックス16巻まで読んでいる人は、見てみて欲しい。
ちょい下にある「次へ」からどうぞ。
コメント
主人公の魅力とかはピカイチに素晴らしいと思います。
劇場版の煉獄さんも同様です。
だけど、”鬼殺隊”という組織としてみたらどうでしょうか!?
私は鬼殺隊の特に親方様が馬鹿にしか見えなくてしょうがありません。
ハッキリ言って司令官としては失格です。
理由はいくつかあります。
・諜報能力が悪い。那田蜘蛛山に十二鬼月がいることを探れず、平隊士を派遣しほぼ全滅。
・戦術論的にやってはいけないとされる戦力の逐次投入を行っている。
太平洋戦争のガダルカナルの戦いがそれにあたります。平隊士に被害が出た後に、最上位である”柱”2名を覇権。普通は柱を司令官として部隊を組織して被害を最小限に作戦を遂行するものと思うのですが。
親方様が隊士を「私のカワイイ子供達・・・」と言っているが、本当に可愛いのであれば、こんなミスをするかと疑問に思ってしまいます。
劇場版も同様で、煉獄さんが結果的に十二鬼月相手に2連戦しており疲弊したところをトドメを刺されております。十二鬼月相手のオペレーションであるならば、上弦のことも加味してあと最低でも柱を2名ほど後詰めに投入すべきだと考えるがどうですか?スポーツの試合ではないでしょ!、殺し合いをしているわけでしょ!理解に苦しみます。仮に柱を多く動員すれば上弦は出てこないという意見もあると思うのですが、柱が上弦を上回る潜みを会得してなければ、いずれも勝てずに各個撃破の餌食になるだけですよと言いたいです。
・連絡、報告、相談、命令伝達がなっていない。
禰󠄀豆子の件で、お頭と柱達が集まり竈門炭治郎を問い詰めるシーンがありましたが、元柱と現柱である冨岡義勇が親方に上申していて、親方が他の柱に下達すれば済むことで、わざわざ炭治郎を魔女裁判(例え)をする必要がないと考えるのですが如何ですか?
あえてジャンプ編集部担当者と原作者が、そのように意図的に制作したかもしれませんが、読者の方々がその辺を気付かずに、流行だからと迎合していますと、歴史は繰り返すと申しますが、ガダルカナルの戦いのような悲惨な失敗をすることになるかもと懸念しております。
思い入れが深く、色々と問題が見えてきてしまっているようですね。
そうですね。部隊として後手後手に回っているのは、慢性的な人手不足、というせいがあるのかもしれませんね。
鬼は鬼になった瞬間、一般人ではとても敵わない力を急激に手にできますが、
鬼殺隊の隊員たちは、血の滲む修行を乗り越えて、それでも強くなれるのは一握り。
この仕組み上、戦略が後手に回るのも、致し方ないのかな、とも思います。
大正時代が舞台ですしね。情報網なんて脆弱です。
最後の、禰豆子の件のゴタゴタですが、これは「わざと」そうしたように思います。
「禰豆子は鬼だけど不問」という伝達だけでは、到底受け入れてくれない連中ばかりだと、
わかっていたのでしょう。実際そのようでしたし。
あそこで、「禰豆子が血を見ても我慢した」という事実を目の当たりにすることに、意味があったのでしょう。
まあ、私は制作になにも関わっているはずもないので、真相は知りませんが。
この漫画を読んで、「この仕事には、人員を逐次投入しよう」と思う人はいないと思います。
社会全般、今も昔も、問題には後手に対応してしまうのが常であり、歯がゆいところなのです。
しかし、これを読んだあなたがそう感じたなら、それは大事にすべきことですし、
今後生きていく上での反面教師としてゆけば、良いのではないかと思います。